
元、ディレクターの陽子さんが僕の特色を活かそうと思って様々な企画やアーティストのインタビューを取り入れてくれたことは間違いなくげ現在の僕に繋がっていることで、陽子さんには言葉では言い切れないほど心から感謝の気持ちでいっぱい。
エルディバージもそうだったけれど、全米の音楽シーンはR&BからHIP-HOPにシフトし始めた頃、RUN-DMCと出会えたことは
いまでも誇りであり、生涯の宝物になった。
R&Bシーンでは既にトップ・グループへと成長していたデバージのエルディバージのインタビューから数週間しか経過していないなか、1986年12月17日、東京プリンスホテルで彼等のインタビューが出来るとは正に夢のようだった。
正直、28年という歳月が経過してしまった今ではインタビューの内容までは覚えていないが、この時、1987年の僕の目標は
決まった。
それは、「恋するスタジオ・ザ・ポップ」で担当しているDJや、同じラジオ日本で音楽番組を担当しているDJの大半の人が、執筆もしているということから、出来る限り音専紙やライナー・ノーツの仕事を増やしていこうと心の中に誓った。
勿論、相手有りきのことだし、果たして僕のちっぽけな文章力で発注してくれるところがあるのか分からないけれど、目標に向かって前向きに突き進んでいけば必ず形になると信じている僕は、新年を迎えた1987年から目標に向かってあることから歩き出した。
それは....。